2018年 03月 17日
『野上彌生子日記 -震災前後-』
道立図書館の天井工事と市立図書館の改装が同時期に重なってしまったこの数か月。積読本はぐんぐん減っていきます。うれしい反面、図書館という場所への渇望がものすごい。来月のリニューアルオープンを心待ちながら、ずいぶん前に贖った野上彌生子日記を読みました。昔の日記を読むのはやはりすき。
野上彌生子(1885~1985)は文藝ガーリッシュの系譜、『森』が気になる方。生涯通して日記を記した作家の、大正12年7月31日から大正14年1月19日までの1年半の記録。関東大震災の壮絶な記述が当時の惨禍を物語る。ユーモアはないけれど、面倒なときにはよくサボり、数日まとめてつけることもしょっちゅうなのに親しみを覚える。
朝から久しぶりに小雨ーといふほどもない微細な雨粒が降つた。おひる過ぎその間からうす日がさしはじめた。如何にも春の雨らしい風情になつた。
朝兄さんのソローのオルデンの校正を手伝ふ、あんな生活も私は可なりすきである。
十四日のことはおぼへぬーこれは二十日になつてつける日記である。 (大正13年3月13日)
朝は晴れて美しいお天気になつてゐたが午後から曇る。
朝ソローの校正を手伝ふ。丁度私のよんで好きであつたところなのでたのしかつた。よみながらなんだか涙が出た。あんな静寂の間に一生暮らしていければのんきでたのしからう。しかし人間はいつも同じ気もちを持続する事はむづかしい。浮世のまん中がこひしくなることもありさうだ。 (大正13年3月27日)
私は何かの奇蹟を待ちのぞんでゐる。もつと住みよいゆつたりした自由な世界はないものか。私はもう生きてもあと十年か二十年である。それまでに私はこんな世界を見るのみで死ぬのかとおもふと涙がこぼれる。 (大正13年4月30日)
ソローの『ウォールデン』を読んで同じように憧れたことを思い出す日の日記。著名な女流作家となっても、生きることの虚しさに苦しめられたのかとおもうと感慨深い。
平塚らいてう、和辻哲郎、寺田寅彦、内田百間、高濱虚子など。高名な文筆家の名が当然のように登場してくる、その人脈の広さを華々しくおもう。
by haru-haru-73
| 2018-03-17 15:30
| 本
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