2021年 06月 22日
海辺の映画館ーキネマの玉手箱 (2019年) 追体験の必要
昨年、惜しまれ惜しまれ亡くなった、敬愛する大林宣彦監督による遺作。
20年ぶりとなる故郷・尾道を舞台に、戦争映画のオールナイト上映をしていた海辺の映画館で、突然スクリーンの世界にタイムリープしてしまった3人の若者が、それぞれの時代を生きる人々との交流を重ねながら戦争の歴史を追体験していくさまを、エネルギッシュかつ自由奔放な筆致で描き出すー。
最期まで、奇奇怪怪なドギツイ画面を駆使して反戦を訴えつづけた、大林亘彦監督の遺言に目と耳を澄ます3時間。
リアリティなんて追及する気はさらさらない、虚構である映画をいかにフル活用してメッセージを届けるかに思われる、ぶっ飛びの世界。『HOUSEハウス』で人間性を疑いかけたことが思い出されるほど、あの衝撃作からなんら変わっていないエネルギーに度肝を抜かれる。ここまでして、戦争の記憶を後世に残すために死闘した監督はいなかったろうし、新たに映画史に刻まれるだろう『戦争4部作』の立派な最終章。
“瀬戸内キネマ”がついに楽日を迎える夜。外はひどい雷雨。気が付くと3人の若者はスクリーンの世界にいた...!
幕末から戊辰戦争、日中戦争、太平洋戦争、原爆投下まで、不条理な幾つもの戦場を若者たちを通し追体験する。通奏低音として繰り返される中原中也の詩の数々。いつの時代にも、懸命に生きる市井の人々がいて、恋人たちがいて、青春があった。
そうしていま、またひとつ終りゆく、映画館への郷愁へ立ち返り想いを馳せる。映画ファンにとっても胸に沁む作品だ。
毒々しい色合いとなんでもありの超展開に付き合うには、慣れと忍耐が必要なのかもしれない。そんな映画鑑賞というのがあって良いとさえおもえる。大林監督が渾身の力で遺した映画は、邦画にしか出せない反戦の色をした、誇るべき怪作だった。
by haru-haru-73
| 2021-06-22 16:40
| 日本映画
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